対話性

なぜこんなにギターを弾いたり歌ったりするのが楽しいのだろう?と最近ふとおもったんです。かれこれ20年くらい音楽をしてるわけで、なぜこんなに続けられてるのだろう。

現時点での答えは対話性です。ぼくとあなたがこうやって文字を通してつながるのも対話。こうして文章を書くことで自分自身と会話するのも対話。

自分が発したものが相手に届き、それが相手に何らかの作用をおよぼして、こちらに返ってくる。おもい通りに伝わることもあるし、うまくいかないときもある。

自分の頭の中にはこうしたいなあというぼんやりした、もしくははっきりした理想があって、それを伝えてみる。うまくいくことのほうが少なくて、たいていの場合、理想の状態になるまえにイライラしたりあきらめたりしてしまう。

ギターの音色。自分が気持ちよくなれる音を手に入れるまで、自分の出している音を聴いて修正していく。右手中指で弾いてる音が気持ち悪いな、なんとかいい音にならないものか?


自分の歌。声が身体に響いてないな。どこに当てたら自分のおもうような声がでるのだろう?

こういう疑問を常にもっているのだとおもいます。いいかえるとこういう遊びをしてる。ギター一本、身体ひとつあればいい遊び。単純だから終わりがなくて続けられる。

ファミコン世代なのでゲームをするのは大好きなんだけど、誰かが設定したゴールがあるのでクリアすると何度もやろうとおもわないんです。でも、単純で対話性がある遊びはなかなか飽きない。終わりがない。地味だけど、楽しみ方がわかるとたまらないです。

そういや、声が出せずに喉を閉めて歌っていた頃、駅のホームの端にいってボイトレしてたな、いや他人から見たら怪しさ満開なんだろけど、どうやったらいい声になるんだろうと、早く身につけたくて探りたくてしかたなかった。

このことに気づいたのは、キーボードを探しに行った時です。今のパソコンでやる音楽ソフトには色々な音色が入っているのね。音楽を作っている時にその音色を選ぶんだけど、まあこれが自分にはまったく向かない作業なんです。おもしろくない。なんでおもしろくないんだろうと考えた結果、対話性がないから。

こちらは試験官で部屋に人を呼んで、面接し、あわなかったら、はいお帰りくださいという作業を延々としてる気分になるんです。ひどいときにはイメージにあう音を見つけられずに2時間くらい音を選んでたりする。これではダメだろうとおもって、音づくりの基本がわかるように今キーボードを探してるとこです。

たぶん、サッカーがうまい人はボールと、絵がうまい人は鉛筆と紙、ビジネスマンは商品やサービスやお客さんと対話することができるから上手くなったんじゃないだろうかとそんなことをおもっています。

こうしたいんだけど
あら、そうきますか
いや、もうちょっとこうなんですけど
そうですそうです、そのかんじです

ああ、いいものを描けるようになりたい
もっと聴けるようになりたい