原子力政策が変わるまでの悲しみ
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原子力発電所の事故によって、食物がどれだけ汚染されたのかわかりません。そして、それらの食物が、わたしたちの食べるものにどくれくらい混ざっているかわかりません。風評被害という言葉があります。汚染されていない食物を、過度に怖がって消費者が買い控える、それによる損失、という意味でしょう。でも現状は、汚染されているかいないか明確でない食物が、スーパーなどに出回っているのだから、それをみて消費者が不安におもい、東日本の食物を買い控えするのは当然のことだとおもいます。
もっとはっきりいってしまえば、一番最初に守りたいのは、自分や自分の大切な人や自分の家族の健康なわけです。被災された方たちはとても大変だとおもいますが、そこはゆずれません。自分の健康は害されてもいいから、汚染されている食物を食べていいという人はいるのでしょうか?自分の子供、自分の家族を危険な目にあわせてもいい、という人はいるでしょうか?
消費者の安全、生産者の責任、被害者の救済、事故の責任、行政の対応などがごちゃっと混乱しているようですが、わたしたちの優先順位ははっきりしているようにおもいます。
1:健康を確保する
そのために、汚染されている食物と、そうでない食物を区別する
区別できないものについては、なるべく摂取しないようにする
子供、今後妊娠の可能性のある女性が優先的に疎開できるようにする
なぜなら、自分が健康でなくなれば活動に支障をきたすし、近い人の健康が害されれば精神的、経済的な痛手を負うからです。そして、乳幼児、子供、妊婦、女性は、放射性物質の悪影響を受けやすいといわれているからです。
2:原子力事故の被害者を救済する
1がなされた上で、農家など、原子力事故によって生業がなりたたなくなった方々を支援していく。
なぜなら、まともに生活してきた同じ国にすむ仲間をささえるのは私たちのつとめであると考えるからです。それは一歩間違えば自分たちの身に起こっていたかもしれません。その補償ためには私たちの税が適切につかわれてもかまわないと考えます。
3:責任の追求と現在の原子力発電の構造をかえる
消費者 対 東日本の生産者 という図式になりがちですが、この原因を作っているのは、原発事故をおこした東京電力であり、事故後適切な事故処理をしなかった政府であり、十分な安全性を確保してこなかった文部科学省、経産省であり、都合の悪いことを国民に伝えていないマスメディアであり、自分たちでモノを考えずに情報を鵜呑みにしている国民にあるとおもいます。
なぜなら、問題は解決しないかぎりくりかえします。いま特に自分たちの論理性、マスメディアの情報操作の問題に手をつけないかぎり、私たちはいいなりになりつづけ、同じような悲劇が繰り返されると考えるからです。
これから、5年10年して、徐々に2011年3月から進行しているこの狂った状況の結果が、子供たちの甲状腺異常などの具体的症状としてあらわれてくると予測します。原因を作っている側の責任は、わたしたちが状況の悲惨さを認識するのに比例してとわれはじめ、そのときになって、この狂った構造を変えなければという流れになるのでしょう。これほどまでの犠牲を払わないと気づけない。とても悲しいことです。