仕事納め

仕事が納まりました、いちおう。休みでも個人的にやりたいことをやるので仕事しているのだかしてないのだかわかんないというのが、いちおう、の意味です。

子供のころは可能性が無限にあって、という台詞をよくききます。そうだね、やろうとおもえば何でも学べるだろうし、時間はたくさんあるし、これから発展していく上で、いろんな道を選べそうです。

一方、なにをするにも、遅すぎることはない、という台詞もよくききます。そうですよね。少ない席争いとか年齢制限、身体能力の条件があることはできないかもしれないけれど、個人的な満足感や、自分がやりたいことが、年齢という制約条件を持っていないのなら、文字通りなんだってできるでしょう。

そんなことを考えながらおもったのは、無限の可能性の中から、自分にあった形で可能性がしぼれてきた、これってけっこういい感じなのではないだろうか?ということです。

そりゃそうです。広い宇宙空間と死ぬまで続く時間の中で、なにやってもいい、どこいってもいい、といわれたら困ります。いまさら無限の可能性なんかあったら困るのです。自由というのはとっても怖い状態で、ほとんどの人はそれに耐えられないから、なにかしらの制約がつくことをのぞんでいるです。それは家庭かもしれないし、会社かもしれないし、能力かもしれない。

というわけで、なにかしらの制約というか条件が必要になるんだけど、この制約が他人の考えたものだと、けっこう不満がでてくるような気がします。自分で考えたり行動したりするのが面倒なので、こわいので、他人のいうことをきくというのが大半なんだとおもうけれど(僕も含め多くの人が)、それはやっぱり他人が考えたものなので、自分とはあわない部分がでてくる、と。

自分にあうこと、というのは、自分でわかるケースと、他人が分かるケースと、不意に分かるケースがあるとおもいます。



結論は、以下のようになるとおもうんだけど、書くのがめんどくさくなったので、今日はここまで。

1、自分にはいろいろ可能性がありまっせ
2、その可能性の中から、何をするかは自分で選びまっせ(他人の意見を聞くにしても)