10.01.01の中心

1日は24時間、1年は365日、あとX年は生きる。
わたしの興味は、思考、健康、人間関係、お金、音楽、趣味

ある日気づいたのだけど、
わたしはコンピューターではない、仕事をこなす機械ではない
無駄が多い方、ゆっくりすすんだ方が充実感がえられるし、味わうことができる
しかし、味わうことだけに着目すると、なにもすすまない
素敵な日々になる道のりを、ほどよいスピードで風景を楽しみながらいこう。
必要なものは、過不足なくぴったり必要なだけ手に入れよう。


自分のくらしというものを考えてみたときに、09年までにたどり着いたのは「味わう」という言葉。思考、健康、人間関係、お金、音楽、趣味によってぼくの日々はできている。それら全てを味わいつくしたい。もちろんおいしく味わえたほうがいい。

09年07月ヨーロッパ無計画旅行をした。おとずれる国はなんとなく決めていったけど、宿も何時にどこにいくかもほぼ決めずに行動した。それは日本で比較的きちんと計画的に生きている反動であったし、「味わう」ということだけに着目したらどうなるんだろう?と考えたから。

味わうことができれば、なにをしてもだいたい楽しい。トラブルにみまわれようと、その場その場をしっかり味わえば、その時間は意味のあるのだろうか?と疑問があった。

そして、ヨーロッパ旅行、数々の困難、味わいましたとも、いろんなことを。フィンランドで雨にふられ迷子、ベルリンでタクシーにわけわからんところにほおりだされた深夜、ベネチアで野犬に吠えられ、ウィーンでありえない狭さの寝台列車、イタリア人車掌と言い争いに負け、しかし、めっちゃよい経済学の教授と知り合い、わけのわからない宗教団体を訪問し、ユーロスターで差別をうけ、ミラノでおいかけられ、まあとにかく色々あじわいました。

そして、なんとなくわかってきた。

能率をもとめすぎるとコンピューターのようになる。
作業は進むが、作業が進む意味がない。
味わうことに比重をおきすぎると、達成感がない。
感じるところはたくさんあるが、達成、構築ができない。

必要なものが不足している状態
必要ないものがあふれている状態
どちらもよろしくない。必要なものが必要なだけぴったりある状態は
精神的な意味でも、空間的な意味でもきれいだなとおもう。


ということで、自分の中心を書きかえてみよう。