自然のたべもの

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(OLYMPUS E-520 & PANASONIC LEICA D SUMMILUX 25mm F1.4)

散歩から帰ってきたところ、友人がお昼ご飯のしたくをしてくれていた。そこには近所に住んでいる人や知り合いの方など数名がいた。テーブルに運ばれてきたのは、新鮮な野菜の天丼。都会?にすんでいると「野菜ですか?」「メインのエビとか肉とかはないの?」とおもってしまいそう。しかし、この日食べた野菜は主役になりうるくらいの存在感があった。

ふだん僕がたべている野菜がなんと味のうすいことか、とこの時あらためのおもう。スーパーに並べられた形のよい野菜。それと対称的にひとつひとつに深い味わいを含んだ野菜。これらはどうちがうのだろう?なぜ同じ野菜なのに味に差がでるのだろう?

そんなこと考えながらテーブルを囲んでいる人たちの話をきいていると、ほぼ全員が専業もしくは兼業農家の方だとわかった。もちろん僕はちがう。違うからこそ普段は聞けない話題に興味を覚えた。

ある兼業で農業をしている人はいった。「ほんとうは無農薬でやりたいんですよね、でもやっぱり虫がつく。」またある人はいった。「駆除するために、てんとう虫を試したことある?あれはけっこう害虫を食べてくれるからいいよ。」「そうなんですよ、試したことあるんですけど、けっこうてんとう虫は(購入するのが)高いですよね。しかも活動的だから(ハウスから)逃げていってしまう。」

「田舎ではね、田んぼをどのようにつくっているかで、人格まではかられてしまうんですよ。だから無農薬で草をボーボーにはやしていると、あのひとの畑は草がはえている=きちんとしていない人間だ、と白い目でみられる」

若い人で農業をはじめようと田舎に引っ越してくる人たちは、すくなからず健康に関心があり、できれば無農薬で作物を育てたいとおもっているようだ。しかし、虫の問題をどうすればいいか。地元の人たちの農薬をつかって草をからして見栄えのよい畑を作った方がよいという目がありなかなか実行するのが難しいようだ。

こういう話を聞きながら、農作物の種類をあげて、それを無農薬でうまく育てるノウハウを種類別にデータベース化できないか?と考える。それこそインターネットの時代だし情報を共有できないものだろうか?政府の農業政策の問題。農家として野菜を育てる技術の問題。食べる人がどういう野菜を選ぶかという問題。流通の問題。なんだかうまくいっていないシステムがここにあるような気がした。

都会に住んでいる人も、自分が食べる野菜にどのような虫がつきやすく、それを駆除するためにこのような農薬が使われている、使わないとするとこれだけの手間がかかる、ということを知ったほうがよいのではないだろうか?

考えてみると、最近はスーパーで季節あまり関係なくさまざまな野菜が手にはいる。そこに並べられているのは形のよい野菜。しかし味はあまりおいしくない。しかもどのように作られたかなんて今まであまり考えたことがなかった。そういう話題はお母さんやおばあさんにまかせましょうというかんじだった。

この日、こうやって実際に野菜を作っている人に出会えて本当によかった。健康うんぬんは正直いってあまり関心がないのだけど、単純においしい野菜を食べたいとおもうのだ。それと野菜がどのようにできるのか疑問がある。

普段、どのような野菜を食べているのだろう? たまねぎ、にんじん、じゃがいも。カレーだね、これじゃあ(笑) いっぱいあるような気がするので列挙してみる。ついでにお肉も。


(野菜)
たまねぎ
にんじん
じゃがいも
なすび
しそ
ベビーリーフ
バジル
キャベツ
白菜
レタス
にんにく

(きのこ類)
しめじ
えりんぎ
しいたけ


(肉)



(京都に来てからほとんど魚を食べていない)

(加工系)
ベーコン
ソーセージ



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友人はパンもごちそうしてくれた。これまたおいしいパンでした。パンがうまいと人生幸せな気がするのは僕だけだろうか。

話をもとにもどそう。

上に列挙してみた食品はどのように家庭に運ばれるのだろうか?ここでは家庭で調理するケースを考えてみる。

1:僕たちが食べる
2:家庭で調理する
3:スーパーで食品(野菜/肉など)を買う
4:車でスーパーに食品が届く
5:品質管理?
6:スーパーの仕入れ部門の人が野菜を買う
7:
8:
9:
10:農家の人が野菜を作る


うまく想像できない。たぶん、スーパーに届くまでに、農協を通ったり、検査があったり、いろんなことをしているはずなのだ。自分が食べるものなのに何にも知らない。これはまずいというか、好奇心としてどうなっているんだろう?とおもう。


農家の人が農作物を作り、都会にすむ消費者がそれを口にするまで、どのような行程があるのだろうか?誰がかかわっていて、どういう流れになっているのだろうか?誰も教えてくれなかった気がする。誰も教えてくれないことは、本当にどうでもいいことか、とても大切なことなのだろう。