海辺の町


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(OLYMPUS E-520 & PANASONIC LEICA D SUMMILUX 25mm F1.4)

駅で友人と待ち合わせしていたのだけど、いろんな都合により落ち合う時間が遅くなったのでブラブラ散策でもしようかという運びになった。舞鶴を訪れたのは記憶にあるかぎりこれがはじめてだとおもう。9月の中旬だというのにその日はすこし日差しがきつくて歩いているとじんわり汗ばんでくる。西舞鶴駅から西の方角に商店街をぬけて歩いていくと、高野川という川にあたった。きれいとはいいがたいがしずかな風情のある川だなとおもって、その川沿いをゆくことにした。

途中、家の前から釣り糸をたらすおじさんを発見した。これはなかなか珍しい風景なのではないだろうか?これをもうちょっと進化させると、2階から釣り糸をたらして、そのまま魚を釣り上げるなんて芸当もできそうである。なかなかのどかな風景だとかんじる。その土地とちがもつ自然環境があり、それらが生活スタイルを規定する。その上で私たちはいろんなことを考えたりおもったりしているのだろう。



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道ばたに描かれた落書き。NYあたりでかかれていたら、アートだといってとりはやされるのではないだろうか。子供のこころには、どんなアスファルトもキャンバスに見えるのだろうか?と考えた後、これを描いたのが60過ぎのおじいちゃんだったらどうしよう?という考え、その絵が浮かんできて、ひとりでウケていた。端からみたら危ない人である。

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川沿いに建てられた家。水面にうつる姿がとてもきれい。イタリアにいってきたばかりなので、どうしてもベネチアを彷彿とさせるなあ、なんておもってしまう。本来なら、ベネチアにいったときに、西舞鶴を彷彿とさせるなあ、とおもうのが正しい順番なのだろうが。

しかし、いつもおもうけれど、こういう作りの家は、水面がなにかの拍子に上昇した場合に、家が水浸しになるのではないだろうか?それともそんなこと大丈夫なぎりぎりのラインに家を建てているのだろうか?

たぶん、長年かけて、水面と住居空間のよいバランスがとられてきているんだろう。先人達の知恵というのはすばらしいものだ、と考えたあとで、今晩あたり、水害にあって、家の茶の間がびちゃびちゃになってたらおもしろいな、という絵が浮かんで、また一人でわらっていた。不謹慎な想像というのはなんと楽しいんだろう。人の不幸は蜜の味。