Keith Jarrett 26:03
いま大掛かりなPCのセットアップをしています。以前クリーンインストールをしているといったけど、その続きをずっとしていることになります。OSを入れ替えて、ドライバを入れて、ソフトをインストールして、プラグインをいれてと、すべての機能を全部ゼロにして、もう一度キレイに必要なものだけでシステムを再構築しているのです。気が狂いそうです。
当然以前は使えていたのに、設定がうまくいってなくていまは使えないという機能がでてくるのです。そんなわけでCDの音が出なくなり困っていました。ふつうにCDは鳴らせるのですが、録音の関係上、ひとつのCDを流しながら、もうひとつの音源から音を出すという、ちょっとこみいった機能をつかえるようにしたかったのです。そのように音がなるかどうかのテストのために、ある音源を再生しました。
なんとなく再生したその音源はケルン・コンサートというKeith Jarrett(キース・ジャレット)の曲。変だなーどこがおかしいんだろう?これかな?あれかな?と作業してました。
ふと音量を大きくすると、Keith Jarrettのすんだピアノの音が部屋に響きわたりました。その瞬間にぼくは手をとめて、CDの再生時間をみました。
26:03
なんとなく、しっかりとこの音源を聴かなくてはいけない気がしました。部屋のなかにピアノの音だけがひびきます。
(これね ←押すと別ウィンドが開いて音がでます。会社とかでばれないようにー注意!!!)
ふだん音楽を聴くときはもっとよこしまに聴いてしまっている気がするのです。コード進行がどうとか、歌詞の意味とか、ベースかっこいいなとかこの曲の構成いいなとか、ボーカルの声好きとか。もしくはヘッドフォンから聴こえてくる曲を好きなように並び替えてだいたい3分から5分くらい、こちらの好きなように、極端にいうと暴力的に、支配的に音楽を聴いている気がするのです。でも、Keith Jarrettのピアノはそんなことを許してくれそうにないとその瞬間にかんじたのです。オイ!おまえ、てをとめてオレの音をきけ。
音楽の効能っていろいろあるとおもいます。楽しくなったり悲しくなったり、おどりたくなったり、なんとなく雰囲気がよくなったり。Keith Jarrettの音楽になにかしらの効能・効果があるとしたら、「時をとめる」みたいなもののようにおもいます。
考えることも・感じることも、うまくできないのです。なんだかポ--ンと時間の外にほうり出されたようになるのです。変な言い方だけど26:03のあいだ時をとめる効果がある。
何回もこの曲は聴いていたけど、こんな風にかんじたのははじめてだったので書いておこうとおもったのです。なんだろう、たぶん瞑想しているとかそういうのに近いんだろうな、これ。その何にもない状態に意味があるのかないのかときかれたらなんとも答えづらいけど。
ふと思い出しては、またあじわいたくなる、そんな空間でした。