友人の引越しを手伝う

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友人夫妻が家をたてた。まだ若いのにこれからの生活を思いえがいて大きな決断をした。
少しでもお役に立てればとおもったので、引越しを手伝った。

思えば友人夫妻が以前住んでいた場所から引っ越すときも手伝った。どうやら引越し要員のレギュラーと位置づけられているらしい。それはそれでうれしい。昔いろんなバイト先で搬入やら引越しの仕事をした経験が活きているのかもしれない。

当日はあいにくの雨だったけど(僕のせいではない、はず...)下準備ができていたのと、ボスキャラ(洗濯機とか冷蔵庫とかの重いもの)の移動が終わっていたので、わりあいスムーズに作業が進んだ。3,4時間もしたら掃除も含めてほとんどの作業が終わった。


新居はこだわりをもって長期にわたって検討し何回も計画を練り直しただけあって、とても居心地のよい空間だった。趣味のひとつとしていろんな家具屋やインテリアが素敵なお店を何件もまわっているけれど、こんなによい空間はなかなかないと感じた。
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いろんな場所でいろんなものをみてきて、よい空間の条件ができる条件にきづいた。
それは"自分にとって必要なものを知る"ということなんだとおもう。

多くの商品やサービスには与える側と与えられる側が存在するのだけど、与える側はなるべく与えられる側が買いやすいように、商品やサービスをつくる。より多くの人に受け入れられやすいものを作ろうとすると、たいていの場合、無難でおもしろくないものになってしまう。おもしろくないだけならまだましで、自分にとって必要ないものにお金を払うはめになる場合も多々ある。

具体例をあげると、分譲マンションや賃貸マンションの2LDKなどについてくる和室。ある程度の年齢層には必要だろうがぼくにはまったく必要がないものだ。でも、家主側と不動産会社側は売る対象のパイを広げようと無難に和室をつけているケースが多々ある。

友人夫妻に家を新築するときの状況をきいても同じようなもので、どうしても有名大手の建築会社は無難な家作りをしたがるらしい。会社側が用意したプランがあり、それから外れると追加料金追加料金となるらしい。無難を好む会社、無難を好む建築家、無難を好む工務店、それらが大多数なのはなぜか?たぶん買い手が無難を好むからだ。自分のことを真剣に考えないからだ。

自分のスタイルや、これからのことを真剣に熟考して取捨選択しないから、「○○した時のために、○○が必要かもしれない」とおもい余計なオプションをつけてしまう。柔軟性をもった家作りにしたいという意図があるならあるで、それを実現する作りも考えられるはずだけどそうすることもない。なので、とりあえずある一定のセットメニューで手を打つ。「考えるのは面倒なので、おまかせします。」

余計なものがない、無駄がないということは美しい。モノがあれば豊かという時代はとっくの昔におわっていて、自分にとって本当に必要なものだけと暮らすというのが豊かさであると僕は考える。過不足なく自分にとって必要なものを選びだす。これは本当に時間のかかる作業かもしれないけれど、とても意味のある作業だとおもう。

モノにしろ、時間の使い方にしろ、人間関係にしろ、自分の態度にしろ、いらないものはいらない。必要なものだけをもっている状態を100だとすると、それ以上手に入れたらどんどんマイナスになっていく気がする。空間は自分の好きなものをかざる額縁のようであるのに、モノが多すぎると、大切な余白のためのスペースが削られてしまう。


ほんとうに愛せるいくつかものを、大切にしながらできるだけ長く一緒にいたい。