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なんで考えごとの部品について書いているのか考える

なぜ考えごとの部品について書いているのだろう?とふと疑問におもいました。

基本的にこういう真剣めいたことを書くのは好きじゃないのです。それに自分の願望とか、その方法論とかを書くのも好きじゃありません。いや混乱しそうなので、きちんとわけておくと自分自身で「○○するためにどうしよう」とか「なんで俺はこんなことしたいんだろう?」とか「自分の特性ってなにかなー」とか、そういうことを考えるのは好きなのですが、それを人に話すのはあまり好きじゃないのです。好きじゃないというか小恥ずかしいというか。

もし方法論とか意見を聞かれたら喜んで話すとおもうんだけど、基本的には「僕みたいなものの考えなんてお話しても」という気持ちもあるし、そういうことを声高にいわなくてもリスがどんぐりを巣にためるみたいにコツコツそしてこっそりと個人的にやっていればいいことだとおもっているのです。


でも、それでもこうやって考えごとの部品について書いているのはなぜなのだろう?
それは、

1:なんとなく好きで考えごとを続けているあいだに、なんとなくうまくいく考えごと法が
自分のなかでできあがった(らしい)。

2:他の人と話していて、「こう考えればいいのでは?」といいたくなることがたくさんある。
意見の押しつけではなくて、あくまで選択肢のひとつとして。

3:結局、自分で考えたことしか深く信じられないし、身にならないとおもうから。
つまり自分自身で考えることって大切だとおもうから。ってあたりまえか。

というところでしょう。


いまふと思い出したんだけど、数年前に自分がなにがしたいのかわからなくなった時期に、自分にとっての答えをもとめて本屋にはいったり、人とたくさん話したり、ネットで調べものをしたりしました。
それはそれで大切なことだとおもうんだけど、気づいたのは「自分にとって大切なことって自分の中にしかないんだ」ということでした。

本を探せば、ネットでググれば、テレビをみれば、人にきけば、答えが手にはいるとどこかでおもっていたんでしょう。でも、どの扉をあけても部屋のなかはからっぽで、なにかはいっていたとしてもそれは自分のもとめている答えとはちょっと違うなとおもってました。服屋さんにはいってズボンを試着してみるものの、丈がちょっとだけ短かったり、色が気に入らなかったり、いや形がおかしいぞとか、素材がテロンテロンすぎてきらいとか、自分にぴったりくるこれだ!というものを見つけられないでいました。ということで、もうこりゃ自分がほんとうにもとめている答えは自分自身で探し出すしかないなと考えるようになったような気がします。ほんとうのところは忘れちゃったけど。

自分自身の腑に落ちることを、自分自身で発掘するための方法論というのが昔から考えられてきたし、自分でいくつか公式めいたものをつくりました。

休みの日に、ともだちとカフェなんかにいって、自分の考えていることや興味のあること、そのともだちの考えごとを整理したりするのがとても好きです。趣味のひとつだといってもいいとおもう。その考えごとの面白さをともだちに知ってほしくて、こうやって考えごとの部品について書いているってことなのかな。



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