毒にも薬にも

090101_002_olympus_E520.jpg

おみくじをひいた。小吉。吉とあるが書いてある説明がひどい。願望かなわず。失物出ず。待ち人来たらず。喧嘩売ってんのかとおもう。これは凶に近いんじゃないか。小吉ってランクどれくらいなんだろう。まあ、それはいいとしても、気になるのが、「人のために善いと思ってすることが、悪くなるくこともある」という言葉。実は最近気にしていることなので、その意味をいろいろ考えてしまう。
 
ジョアン・ジルベルトのコンサートにいけず鍋をしたときに、友人からおなじようなことをいわれた。「たっきーは(ぼくは普段こうよばれる)誰かれかまわず、自分の考えをはなすからタチがわるい」、「たっきーがいいとおもうことは、たっきーだから実行できるんであって、他の人が一部だけ真似をしようとすると痛い目にあう」、「たっきーのいうことは、ある意味では当たっている。だからそれを真実だとおもってしまう。」のだそうだ。くわえてカウントダウンライブ後の楽屋でアブフリの阿賀さんも「たっきーには洗脳ぐせがある」といっていた。本当にぽろっといっただけだけど、ぼくのなかでその言葉は大きくひびいた。
 
友人からの話をまとめてみると、滝田という人間は、

1:自分の考えを分別なく相手にはなす。
2:その話はある魅力をふくんでいる。
3:その話に自分のことを考えずのってしまうと痛い目にあうこともある。
 
自分ではそんな風におもっていなかったけれど、これらはどれも、信頼、尊敬する友人からの言葉。だから、これらはたぶん自分では見ることのできない自分の性質をあらわした言葉なんだろう。たとえるなら、背中についている張り紙になんと書いてあるか友人が言ってくれたようなものなのだろう。
 
たしかに、こうしてWEBまでつくり自分の考えを発表している。その理由の大半は自分自身で考えたことを忘れないようにするためなんだけど、読んでくれた方には少なからず影響を与えてしまっているのかもしれない。そして、ここに書かれることは、自分をうまく使うにはどうしたらいいか?という目線で書かれることがおおい。自分のやりたいこととか、特性とか、能力とか、どういう目的をもっているとか、そういうことを考えたうえでおもいつくことを書いている。自分という道具を、自分の理想とする状態にするために、考えだされたことなのだ。その考え方と結果だけ見ると、そんなやり方があるのか!とある意味よく見えてしまうのかもしれない。
 
しかし、ここに書かれることはあくまで、ぼくの考える「幸せな状態」にむけて、ぼくの「現状」に、どう「作用」していくかということなのでそのまま真似してもいい結果はでない。あくまでいったんあなたの目的地なり、あなたの武器の形なり、あなた自身の性格なり、さまざまなことを考えてみないといけないんだとおもう。ここに書かれたことと読んであなたの心にうまれることを自分でよく観察して、ぼくの考えとあなたの考えの距離感をしっかりはかってほしい。(あいつ、またアホなこといってるわ、くらいでちょうどよいとおもいます。)いや、そこまで大きな影響を与えているとはおもわないけれど、なんかまずいことになったらいけないので、一応こういうふうに注意を書いたほうがいいかなとおもう。
 
結論をかんがえてみると、ぼくは毒にも薬にもなる人間なのだろう。自分の症状にあった正しい使い方をすれば薬になるけれど、自分のことを考えず使ってしまうと毒になる。だから、そのあたりの使用上の注意を頭にいれたうえで使用していただければとおもいます。