モノ選びの原点


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帰省したので墓参りにいった。前日までの寒さがうそのような小春日和だった。インディアンサマーというジャズのスタンダードを鼻歌で歌いながらあるいた。うららかな日差しにつつまれて、ああのどかだなとおもった。

ご先祖さまのお墓に線香をそなえ、しゃがんで手をあわせた。しばらくのあいだ目を閉じて心のなかで会話のようなものをかわした。顔をあげて前をみると墓石のむこうがわに水色の空と白い雲がみえた。なんでもないようなことだけど一瞬涙がでそうになった。なぜだかわからないけど少し感傷的になった。

帰り道、墓地近くにある広場に子供ひとり、親ふたりの家族がいた。お父さんがふわふわ浮くボールのようなものを空にむかって飛ばしていた。女の子がその風船をおいかけていた。でもうまくつかまえられないので、お父さんも一緒に自分で飛ばした風船をつかまえようと飛び跳ねていた。お母さんはふたりをみて、「あほやー!ほら早く!」とはやしたてた。三人の声が広場にひびいていた。


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家に前まで来たときに、犬を散歩しているおじさんにであった。ひさしぶりだったので、そのままおじさんの家に立ち寄ることにした。ぼくの母の妹であるおばさんと、その旦那という間柄なんだけど、ぼくの家から歩いて5分くらいのところに住んでいるのでちいさいときからお世話になった。

しばらく会って話していなかったのだけど、おじさんはとても饒舌だった。ぼくが持っているカメラを見て「オリンパスのE520じゃないか」といった。「俺はE500だぞ。」

「ほんまですか?オリンパスなんて、ちょっとマニアックじゃないですか?ふつうキャノンかニコン買うでしょう?」とぼくがいった。

「買う前にいろいろ調べてみると、俺にはこれがぴったりだとおもったんよ」とおじさんがいった。

まるで、自分がしゃべっているかのような台詞をきいてぼくはびっくりした。そこで気づいた。ぼくがモノ選びにこだわるのは、このおじさんの影響が強いんだと。

小学生のとき、おじさん、おばさん夫婦とその子供2人とよく手巻き寿司のパーティーをした。そのときに、おじさんが「うちの冷蔵庫は冷蔵が上、冷凍が下なんよ。だって冷蔵のほうが使用頻度が高いんだから、そっちのほうが便利なんに決まってる。」といっていた。まさにいまの自分がいいそうなことである。

おじさんは渋谷うまれ渋谷そだちという、なかなか珍しい人だ。なにがあったのか知らないけれど、さまざまな取捨選択と決断をへて、自分の納得いく暮らしを自然にめぐまれた志摩の地に見いだしたのだろう。

そのときはじめて聞いたのだけど、おじさんの両親は、父方は鹿児島、母方は福岡の出らしく、九州で結婚したのちに東京にひっこしてきたらしい。よくわからないけれど島津の人間だったそうだ。島津の人間というのは、別にぼくには関係ないんだけど、気になったのは鹿児島の血をひいているということだった。

ぼくの熟考型買い物スタイルにおおきく影響をあたえたひとがもうひとりいて、そのひとはたびたび登場する昔のバイトの先輩である。そのひともなんと鹿児島の出身なのだ。たぶんただの偶然にすぎないのだろうけど、すっかりぼくの個人的な経験則のなかには、鹿児島の男はモノ選びにこだわる、とインプットされてしまった。

おばさんは、お茶とお花の先生をしているらしく、抹茶をふるまってくれた。作法にはぜんぜんきびしくないのだけど、お茶を飲むときは、肘をついて飲むのよ、飲む前に器をながめるの、ふるまってくれた人の気持ちをくむのよ、などなどいろいろ教えてくれた。なんでも、ふつう抹茶の器というものは高価なものがおおいらしく、落として割ってしまってはたいへんだということで、手をすべらせて落としても大丈夫なように肘をつくのだそうだ。

ふつうにコーヒーを飲む感覚でだされた抹茶はとてもおいしかった。ひとくち飲んだ瞬間に時間のながれがゆるやかになるようにかんじた。ささいなことだけど、こういう小さなゆとりを持つというのが本当の優雅さではないかとおもった。

ひさしぶりに話してみると、自分が知らず知らずに影響されている源がわかって楽しかった。しかも素晴らしい影響を与えてくれていた。血のつながりはなくても、しっかりと思考のDNAが自分のなかに引き継がれているのだとおもった。