50

50日。考えていることを毎日書いてみようとおもってから、書き続けている日数。ふだん、だいたい何を決めても三日坊主なんだけど、今回はうまくいっているようにおもう。書くことがむいているのか精神力があがったのか理由はわからないけれど、とにかく50日という結果がでている。

毎日1000字から2000字、おもったことをあんまり深く考えず書いている。この発言をしたら誰か傷つくだろうか?失礼にならないだろうか?などの他人への「気づかい」や、この話はこうしたほうがおもしろくなるなどの「話の調理」は最低限にとどめて気楽にやっている。これが今回続いている秘訣なのだろう。

以前書いた「打率の話」も続けるのに役立ってくれているとおもう。あれを考えだしてから、というか気づいてからずいぶん気負いがへった。しかし、今度は文章の質は落ちたのではないか?という不安もでてくる。つまり読んでくれる人が楽しめる文章ではなくなっているのではないか、という不安。ひとりごとに近くなってきているのではないかという不安。

気楽にやると回数は増えるけど質が落ちる。質を高めようとすると回数が落ちる。このジレンマのなかで戦いつづけている人はおおいのだろうけど、なんとなくその中で、もがく楽しみに気づけたという感覚がある。

理想はたのしい、おもしろい、ためになる話を、毎日できればいい。これからの数十回は回数は落とさずに質のほうを高める方法を意識しながら書いてみることにしよう。たぶん「書くまえに決めておく」ということが秘訣になってくるんだとおもう。

あれこれ考えているけど、もうこうやって文書を書く習慣をやめることができるのだろうかとふとおもう。なぜなら、毎日1000字から2000字、思っていることを文章にすることは、ある意味でとても精神的によいことのようにおもうから。話をきいてもらうとストレスが減る、という感覚ににている。

もし書くのをやめたら、毎日1000字から2000字のおもいが、もやもやしたまま自分の中に精神的便秘のように残っていくことになる。それは取り出さないかぎり自分のなかで反芻される。なので今では、書かないほうがこわいとおもうようになってきている。