こんばんは
ジョアン・ジルベルトについて語る必要があるのかどうかはわかりません。とても有名なアーティストでBossa Novaというジャンルを確立する中心的役割を果たした人。1931年生まれなのでもうおじいちゃんです。ギターとささやくような声で音楽をかなでます。
彼のことが好きすぎるために、どこまで一般的に受け入れられているか客観的に判断ができないでいます。世界中の誰もが彼のことを知っているとおもっているのですが、たぶんそれはひいき目の幻想なんでしょう。
そんな彼が2008年11月に4度目の来日をする予定でした。しかし腰痛が回復しないという理由から1ヶ月後の12月にコンサートが延期され、結局は中止になってしまいました。もちろんチケットを買っていたし、泊まるところも決めていました。とても残念です。
ぼくにはジョアンのことを好きな友人が2人います。正確にいうとこの2人の影響でぼくはジョアンを好きになりました。どちらも長年の友人ですが、ひとりは昔のアルバイト先の先輩であり、もうひとりは音楽学校時代の友人です。今回も3人で東京にいくはずだったのです。とつぜん中止になってしまったため予定がぽっかり空いてしまいました。なので久しぶりに集まって鍋でもしようということになりました。
ジョアンが2003年に初来日した際に録音された「Live In Tokyo」をかけながら鍋をたべました。ギターと声を聴いていると、話題は自然にジョアンのライブのことになりました。初来日のとき観客であるぼくらにはジョアンが目の前で歌ってくれるというのは信じがたいことでした。いままで熱心に何度も聴いたけれど、ライブを観れるなんておもいもしなかったのです。彼はすでに伝説の中の人であり、日本から遠く離れたブラジルに住んでいるのであり、ライブ自体あまりしないのですから。
ジョアンの音楽はいまの流行音楽ではありません。しかし、それでもコンサート会場は満席に近かったとおもいます。彼の演奏を観たいという人が日本全国からつめかけたのです。だから初来日の会場は独特の雰囲気につつまれていました。気難しい人であり、平気でライブの途中で帰ってしまう、などの本当かうそかわからない逸話がジョアンにはありました。彼の音楽への愛情と、彼の偉大さへの畏敬の念がまざって、いままで味わったことのない緊張感が会場にはりつめていました。約5千人ほどいるにもかかわらず、自分の体重が椅子にかかる音が聞こえるほど静かなのです。咳をするのもはばかられるし、携帯電話をならそうものなら、殺されるんじゃないだろうか?という空気だったのです。
そんな静寂のなかで聴いたジョアンの音楽は、まさに特別なものでした。自分の音楽観を変えるような出来事でした。ジョアンの部屋に招かれて、ギターと歌でもてなしてくれているような親密感、ささやいているかのようにやわらかい音なのに、その音が体をつつんでいる感覚。ハーモニー、メロディー、リズム、その他の技巧に対していいたいことはたくさんあるけれど、それらを超越してあの時ぼくらがあじわった空間は、もう再現できないくらいすばらしいものだったのです。あれから2度ほどジョアンのコンサートを聴きましたが、最初のコンサートにはおよびません。そしてこれからも超えることはないでしょう。あれはジョアンの音楽とぼくらの緊張感が作りだした体験だったのですから。大好きな異性とはじめてつきあえたような感覚。失われて2度と取り戻せないのでしょう。
そんなことを友人たちと話しました。普段はなかなか理解してもらえないことを、共感しあえる友人がいるってすばらしいです。このように会話を楽しんでいると、ついついお酒を飲みすぎてしまい終電を逃しました。気がついたらソファーのうえで寝ていて、結局、始発電車で帰ってきたのでした。
写真左上:この日の鍋は水炊きでした。
写真右上:なんだかんだいって、水炊きが一番好きかも。ポン酢は「香りの蔵」がオススメ。
写真左下:始発が来る前の駅。誰もいません。日がまだ昇ってなくて寒かったです。
写真右下:午前5時です。
PS:もしあなたがジョアンの音楽を聴いたことがないのなら、
「三月の水」というアルバムを聴いてみてほしいです。