詩仙堂

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081129_003_olympus_E520.jpg中谷でのスイーツ決戦が終わり詩仙堂へとむかう。下駄箱で靴をぬぎ中にはいる。目の前に紅葉の赤と木々の緑、そして庭がひろがる。室内は電気もついておらず暗い。しかし戸を開け放っているために外からの光がはいりこんでいて、まるでスクリーンに映しだされた庭園をみているような形になっている。

外の景色を鑑賞しようと、窓際ならぬ戸際?にはたくさんの人が座っている。鑑賞し終えた人が去っていくのを見計らって空いた隙間に座る。目の前に広がる秋色の木々と簡素な庭、すこし肌寒い空気、ざわつく人々の声をかんじていると、ある種の催眠療法を受けているような気がしてきて、しだいに気持ちが静かになっていった。

しばらくそのようにしていた。友人たちも同じように座り個人的な静寂を味わっているようにみえた。普段とは違う速度で時間がながれているようだった。具体的になにとはいえないけれど、大切なことを考えているような感覚。瞑想とか座禅とかそういう種の効果があるのだろうか。なぜ庭を造った人はこのように木々や砂と石を配置したのか。ここで感じている静かな心の状態を、人に与えるために意図されているのだろうか、などと思いをめぐらせるた。

詩仙堂を訪れた最初の理由は、紅葉がきれいという評判をきいたからだった。訪れてみると期待通りの紅葉の美しさに触れることができた。しかしこうして思い返してみると、その場では意識はしていなかったけれども、庭園と場のもつ雰囲気に影響され、ある種、自分の内面に降りていくような感覚を味わえた。それこそ詩仙堂の本当の魅力であり、庭師が提供したかったものなのではないだろうか。「意図された空間」。これからさまざまな場所を訪れるとおもうけれども、その空間の意図を考えてみることにしよう。