とりあえず愚直に、そして続けよ

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(基本的な話を聞いたあとで、わざとぼかしたり、シャッター速度をいじったりして、
実際やってみてどうなるか教えてもらえいました。楽しかったしためになった!)


数日前、以下の文章を書いたのですが、なにをひとりで色々かんがえているんだろう?と
全部消したい気分になりました。(原田さんに教えてもらったことを除いて)
自分のこういう考え方にちょっと問題があるというか、
いろいろ先を見通してしまう思考法とは別の思考を持たないとなと感じます。
わかった気にならずに愚直にやっていこう、と感じたのでした。

でも、「飽きずに続けれることを持つそれだけで、なんて幸せなのだろう」というのは、
自分の中で納得できる言葉です。


(ここから、消してしまおうと思った記事↓)



友人の原田さんに写真を撮るときの基本的な要素を教えてもらいました。
どんなことを学ぶときにも、最初のころは難しいものです。
わからないことが多すぎて、調べるにしても用語の意味がわからなかったり
そもそもその情報が正しいのかどうかさえ判断できないのです。

じゃあ、基礎的なことなんて学ばずに自分の好きなようにやればいいのでは、
とおもうんだけど、これもうまくいかないんですね。

そうしてみてもメチャメチャなものができるだけ。
それすら最初のうちはおもしろいのかもしれないれど、
やがて、はじめての興奮は冷めてしまうようにおもいます。
どんな風にしたい?やってみよう。あれおもった結果と違うぞ?
なにが悪かったのか?どうやったらもっとよくなるだろうか?
というふうに思考を積み上げることができないので、結局は飽きてしまうんです。

なので、まっさらなスポンジのように情報を吸収できる伸びしろの大きい時期に、
これからその世界を何十年も楽しめるような方向に
自分をしむけるのがとても大切なような気がします。

写真の場合だと
被写界深度、シャッター速度、iso、ホワイトバランス、露出補正などなど
今まで知らなかった、聞いたことはあるけど意味がわかっていなかった基本要素
これらの基本要素がよいバランスになって、よい写真ができる。
たぶん、そういうことなのでしょう。

自分で基本的なことがわかるようになったら、自分の好みというか、
著名、有名、もしくは身近にいる写真家のすごさが理解できるようになるのではないかとおもいます。いわゆる、あこがれる、師匠とあおぐ人ができる段階。そして、模倣、模倣、模倣。

でも模倣に飽きてきて、自分がどうしたいのか、ということを考えだす。
撮影する意図や、主題や背景、ストーリー、無意識の表現
といったようなより高度な要素に気づいていくんだとおもうんです。

たぶん、絵画、写真のような視覚表現の芸術、音楽のような聴覚表現の芸術、
それらが混ざった映画のような芸術、どのジャンルでも
同じような過程で伸びていくのかなとおもいます。

そして、その表現という作業を通して自分のことを知ることが
隠された目的のようにおもいます。
気づいていないけれど埋め込まれている目的。


飽きずに続けれることを持つ
それだけで、なんて幸せなのだろうとおもいます。

(ここまで)

大きな方向性が見える/行動がともなわない=愚直に
とりあえず直感行動派/場当たり的でまとまりがない=方向性を思い描いて

ということなんでしょうか。

僕は、大局を見るのはめっちゃめちゃ得意なんですが、
行動がともなわない、やる前からやった気になる、ので、
どんどん行動していくように修正しないとなと
本当に何度でも自分に言い聞かせる必要があると感じます。

ああ、日々精進ですね。

昔、友人が言ってた「見切り発車って大事!」って言葉がずっと自分の中に残ってます。