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なんかやけに神妙に書いてしまった...

2006年05月19日23:54


今日は寝てしまう前にちゃんと書けるでしょうか?
とりあえず、書き進めてみます。


久しぶりにおじいちゃんに会った。
彼は82歳なのだけど、まだ働いており今日は神戸に仕事に行く用事がある
ということだった。

三重(伊勢・志摩)から京都を経由して神戸へ行くというルートを
とったので、「昼ごはんでも一緒に食べよう」という運びになった。

最後にあったのはお正月だから4・5ヶ月くらい前。

この前あったときよりやせていた。
話を聞くと、歯がわるくなって食べ物があまり食べれなかったらしい。

家族の老いはすこし僕を寂しくさせる。
その分じぶんも年をとっているのかな?と思う。

京都駅の鰻屋さんに入り、うなぎを食べる。ごちそうになってしまう。
まあ素直に甘えた方がよさそうなので甘えた。


久しぶりに会ったのでいろんな話をした。

将来はどこに住むんだ?とか
嫁さんは?とか
仕事は順調なのか?とか


嫁さんの話はほっといて欲しいです。(笑)
もうちょっと先でもいいと思っているんだけど、
家族としては「できれば、できるだけ早く」というのが本心なのでしょう。

しかしですね、次男の末っ子としては、もともと家族の要望を自分の
行動に反映させよう、という気が全くないので、そういうことは
あくまでマイペースに進めて行こうと思いました。



どこに住むのか?というのは、僕自身もけっこう悩んでいるところで、
一ついえるのは、確実に京都には永住しない、ということ。

夏暑いし冬寒い。

これから例えばあと60年生きれるとして、
120回そういう気温にかんする嫌なことを経験しなきゃだめだと思うと、
京都という選択肢はないです。

なので候補としては、福岡・神戸・神奈川・三重・(仙台・外国)が
挙がっているんだけど、なにせまだ行ったことがない地域が多く
判断材料がなくて決めかねてます。

これは何回もいっていることだけど、実家を出てしまえば、
どこに行っても基本的に「知らない土地」なのだから。

場所的にはどこでもよく、あくまで諸条件で決めようかと。
(たとえば、気候・食事・交通の便・仕事上の都合・友人関係・家族との距離など)

だから極端な話も外国に住むというのもありだし、(極端に言えばね)
まだどうなるか全然わかりません。



仕事にかんしていえば4・5年前くらいはすごく悩んだ。
家は自営業的に商売をしているので、
その後を継ぐというか家の仕事をするかどうかというのは、
ある時期からずっと気になっていたことだった。

(実家は三重の伊勢にありがちな真珠屋さんです。
真珠のご用命は滝田真珠まで と、ちゃっかり営業してみよう 笑
ちなみにミキモトとかティファニーに卸しているから質はいいと思われます。)


でも、この4・5年間の間に僕は自分の仕事をはじめてしまったし、
ありがたいことになんとか軌道にのっているし
僕はこの仕事が好きで、やっていて充実感のようなものを感じるし
これからどうして行きたいかという展望もあるし
まあ、これでよかったんじゃないかな。と思ってます。

自分で悩んでだした答えってまず外れないですね。経験的にいえば。


4・5年前くらいに悩んだことで、いまでも自分の癖になっているのは
親から色んなものを受け継ぐことやもらったりすることに凄く罪悪感を
感じているってこと。

それは、家業そのもののこともそうだし、単純にお金という意味でもそうだし。

<--
こんなことをいうと贅沢だ。違う立場のことも考えろ!と叱られそうだけど
どんな立場にいてもけっきょく悩んでしまうということは同じだと思うんです。
だって、ほんとどうしていいかなんて全然わからないし、
誰に聞いても結局自分で決めるしなかいし
そういう出会ったことのない問題を解くときには
人はすべからく迷ったり悩んだりしてしまうものだと思うんです。
どうか好意的に受け取ってもらえたらうれしいです。
-->

ありがたいことに、なにか貰えそうな機会があるたびに
僕はなにか後ろめたい気になって断ったし、それは今でもそう思う。

で、これは何が原因なんだろうと考えると

「自分の力で得てないものは、受け取ってはダメだ」
「消費するだけでなくて、なにかを生み出せるようになりたい」

ということみたい。


だから、一人で仕事をしたりして、自分がきちんとできるかどうか
ということを、自分で確かめたかったんだろうな、という風に
いま振り返ってみると思う。


と、考えると、バカですね、俺(笑)

たしかに自分で仕事をしているわけだけど、それは決して
自分だけの力でやっているわけじゃなく、いろんな形で周りの人に
支えられるというか、いい影響を受けてやっているわけで、
やっぱり、独力でやっていると思い上がっちゃダメなんだと思う。

信頼してくれる人がいることや、友人が何げなく言ったことに
刺激や影響を受けてやっているんだから、それはちゃんと受け止めないとなー
と思う。

まあ、自分の力というのは必要なことだけど、それだけが必要な要素では
ないんだ、ということが、ちょっとだけど分かってき始めているのかな?

という感じです。

まだ、すごくぼんやりとだけど。(英語で形容するとvauelyってかんじ)


少し前の過去を振り返ってみるとほんともう思い出したくないくらい辛かった。
実際あんまり覚えていない。 「え?もう4年経ったの?」という感じ。

でも、そういう時期を経て自分の立ち位置のようなものがつかめて来たことで
家族というか、家業なんかとの関係が変わった気がする。

いまでは家族と仕事の話をするのも好きだし(昔はこれが大嫌いだった)
おじいちゃんの話を聞いていても、
「たぶん、ここがいまの経営の問題なんなんじゃないだろうか?」
と思うようになった。


こうしたらいいんじゃないかな?とか思う。
そういう、なにかしら僕が見えている面で家族に恩返しといってはなんだけど
なにか出来ないかな、と考えたりするでした。


あれ?なんかやけに神妙に書いてしまった...
しかも書きすぎた気がする...

これ誰が読むんだろう? けっこう多くの人が見ますよね...
しかも、このようなことを僕はまだ誰にも話したことがない気がする
(ここまで詳しくは...)

ちょっと不安だ...


まあいいや。

こういうことで、噂話されたりなんやかんや言われるのが大嫌いなのです。
(じゃあ書くなよってな 笑)

けっこうこれは、僕にとってデリケートな問題なので、
赤ちゃんの髪の毛をなでるかのごとくやさしく扱ってもらえると
大変感謝です。


ある意味では楽天的にいったほうがいいかなーと思って、
とりあえずアップしてしまいます。

長くてすいません、こんなに書くと自分でも思ってなかったし
なにを書くかも全然決めずに書いているもので...



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