遠い写真

2006年06月06日03:14
はじめにぼくの興味をひいたのは波の音だった。

生まれ育った土地でききおぼえた波の音は濁音のまじったものだった。
そして海から少しはなれた生家まで
波の音がかぜに乗ってきこえてくるということは
明日が雨だということを意味していた。


この日ぼくは京都から電車にのり、
琵琶湖の湖西ちょうど中心あたりに位置する近江舞子にきていた。

前日、バーベキューをしたばかりなのにまたアウトドアかあという思いも あったが
琵琶湖をみた瞬間からそんなことは忘れてしまっていた。

太陽が照りつけ暑すぎるのではないかという心配をよそに
松の木がつくりだす陰と西のほうからゆるやかに吹いてくる
すこし冷たい風がまさにその場を休息の地たらしめていた。

砂浜と呼ぶのは御幣があるのかもしれないが
とにかく砂のうえでぼくはとてもぼんやりしながら波の音をきいていた。

そのときに湖がつくりだす波の音は、海がつくるそれとはちがうのだ
ということにはじめて気づいた。

どの湖もそうだという確信はないけれど、とにかく琵琶湖の波の音は
軽快でどちらかというとかわいらしく幼い感覚をぼくにいだかせた。

ほおづえをつきながら、自分の中から聴こえる音楽と
それらの音がまざりあうのをきいていた。


ふと対岸に目をやると遠くのほうに山々がぼんやりとみえていた。


大学を卒業してから、ぼくは自分がなにをしていけば幸せなのだろう
ということがわからずに半年間くらいそれだけを考えていたことがある。

そのころは働いてもいなかったし、
もちろんなにかを学ぶということもなかった。

純粋に「どちらにあるいていけば僕は幸せをかんじることができるか」
ということだけをくる日もくる日も考えつづけていた。

いまになってあの頃のことを思いだすと、
ある種「選択」の時期だったとわかる。
もちろん当時はそんなことを考える余裕などなく、ただただ目の前にある
おおきな問いと格闘していた。

それは思えば僕にとってははじめての経験だったのだ。
自分のやりたいことを定義し選択するという初めての経験。

それまで歩んできた道はあるていど予測がつくものであったし
誰かの期待にそったものだった。

親からの期待、社会からの期待、借りものの願望

しかし外からの期待つまり外圧だけに反応していたのでは
自分はしあわせになることができないのではないかという思いが
ずいぶん長いあいだ僕の心から消えることはなかった。

中学・高校・大学と進み社会的な「学ぶ」という期待に答えたあとに
そのまま会社に入ったら「稼げ」という期待がくるのだろうか?

本心を麻痺させて、会社の期待にこたえる人生がはじまるのではないか?

そんなふうにすこし過敏におびえていた。

それは自分自身が、そういう期待を一度かけられてしまうと
なかなかそこから抜け出せない人間であるとともに、それにこたえようと
必死になる性質をもっている人間だと思っていたから。

いまでこそ会社につとめなくては達成できないことや
その素晴しい面を認めることができるのだが、
そこで自分が働いて充実する人生を送れる青写真がどうも描けなかった。


そんなふうにして悩みに悩んだすえに自分で描いた青写真のことを
遠くにかすんでみえる山々をみたときに思いだした。


あのときの写真はとてもぼんやりしていて、
それがなんなのかなんて輪郭くらいしかわからなかった。

あれから数年がすぎ、
あの写真にあった場所に僕はある部分においてはたどり着いた。
まだたどりついていない部分は以前よりピントがあっている。

外からの期待にこたえるだけでなく、ぼくは自分の期待にこたえることが
ある意味できてきているようだ。

もしそうであるなら、これからの人生にも少しはのぞみがもてそうな気がする。


深く吸いこんだ息をはきだしたとき、
ぼくはかぜが冷たくなっていることにきづいた。
琵琶湖の水面はすでに茜色にそまっていた。

この日感じたおだやかさが暗闇に消されてしまわないうちに帰ろうと思い
僕はふたたび京都行きの電車にのった。