バカボンのパパ2:コントロール

2006年10月04日00:02


■コントロールということにかんして


コントローラーとサポーターの要素というのは誰でも持っている。

多くの人は他人をコントロールしようとして失敗しイライラする。
いかに自分が「使役の言葉」を使っているかを観察してみるといい。
それは一種の思い上がりなのかもしれないと思うのだ。

多くの人は自分の働く会社をサポートするために生きている。
自分が属する組織を豊かにするために労力を使う構造に
好むと好まざるとに関わらずなっているので
自分が受け取れるものは、自分がサポートする
組織の状態とシステムという制約を持つ。

それでは、イライラと報われないという感情が増すばかりなので
個人的には、自分自身をコントールし、社会をサポートしたほうが
いいような気がする。

もちろん、自分の属している組織からの報酬に満足し、環境に満足し
やりがいを感じているなら、それはとても素晴らしいことで、そこに
問題提起する気はまったくない。素晴らしいとおもう。
組織に属することでしか達成できないこともあるとおもう。

しかし、もしなにかしらのコンフリクトをかんじるならば、
そのコンフリクト自体が、自分がよりもとめるもののヒントであるので
それが起きた状況と自分の考えと感情を観察して、より自分が幸せになる
場所にあなた自身をむかわせるのがいいともう。

一度の災難は、「災難だった」ですむが、二度以上その災難を受けるのは
自分が危険予測を誤ったということになりえるかもしれない。

自分はコントロールできるので、自分を傷つける人や場所や環境からは
距離をおくことができるとおもうのだ。