1/1000の人生見切り発車

2006年10月20日05:04

まるで宿題のできない子供のように、僕は最近ディスプレイの前に
ただひとりポツンとすわっている。

自分の考えていることをなんとか文章にしていこうとおもうのだけど
この作業が遅々として進まず、時間だけがすぎる。

なんだ、これは、自己軟禁か?

誰か僕を外に連れ出してください。


ほんとに、もう書くことは決まっているんだから2週間ぐらいで
パッパと書けちゃえばいいものの、そうは問屋が卸してくれない。

なんか罰ゲームしているようなかんじになってきた。
暇つぶしにMIXIをチェックしても、こんな時間だれも日記を更新なんかしてないし、こうなったら腹いせに自分で全然意味のない日記なんか書いたりして、時間つぶし(いや、それはまずい)創作力を高めるための準備をしようではないか、という心積り。

全然関係ないけど、甘いものが無性に食べたいんだよ。

ケーキとかあんことかぷりんとか、大好きでさ。

甘いもので思い出したけど、
聞くところによると、僕の実家は大昔、パチンコやでうどんやでお菓子屋で服屋だったらしい。どんだけ商売変えしているんだい、おじいちゃん、といいたいところだけど、その試行錯誤の末に今の家業があるわけだから
あんたツワモノだね、とおもってしまう。


この件に関係した話を続けると、最近おじいちゃんから電話がかかってきて「一ヶ月に一回くらい電話をくれ」とのことだった。

ぼくが小さいころのおじいちゃんは、とても勝気で、なんというか血の気が多く、とてもそんなこというタイプではなかった。

僕は牡蠣が嫌いだ。食卓に牡蠣ご飯がならんだとき、食べれなくてぐずっている僕をしかりつけて、無理やり牡蠣を食べさせたという個人的な恨みはな かなか消えないし、僕が小さいときお兄ちゃんのお金を盗みおもちゃを買ったときに、めちゃめちゃ怒られて、殴られて、僕は暗闇の中をなきながら外に飛び出 していったことを絶対忘れない。

ちなみにそのときは雨がふっていて、僕はお気に入りの黄色い長靴と黄色い傘だけもって、「これさえあれば、大丈夫」とおもって家出した。そんなんで大丈夫なわけないやろ、昔の俺。


けれども、おじいちゃんといえば、いま何歳かよくわからんが、75歳を超えているある時に、一緒に一週間くらい香港に仕事にいって、20歳そこそ この僕がもうへとへとになって働いているにもかかわらず、おじいちゃんは平然としているという、"戦争経験者別格"っ的な強さをみせていたのだけど、最近 は心身ともに衰えてきたようで、なんだか弱気になっているっぽい。

それは僕を少しかなしくさせるし、でも、そういうものだと受け入れるしかない気もする。

あ、そういえば、年端もいかないいたいけな少年の僕に将棋の相手をさせて、ぼこぼこに勝つという大人気ない一面もあったりする人である。

この辺は家族全員そうであるらしく、お兄ちゃんも将棋とかの勝負ごとになると一切手を抜かないって言うか、ぼくが王一人になるまで、全部駒をとられたりする。

お父さんはお父さんで、囲碁の三重県代表なるくらいの棋力の持ち主なので、全然相手にもならないし、なんなんだと、無駄に将棋強いよねあなたたちという感じ。


でもって、実家を離れてから早12年くらいたつわけですが、おじいちゃんの寂しさを埋める方法をなんとか編み出せないものか?と考えていたわけです。

おじいちゃんといえば、この夏にいった某S氏のおじいちゃんのことを思い出して、いま自分の部屋に棚を作りたいということを思い出したのです。

ずっと前からDIYの技術を身につけたいなという思いがあり、DIYできたらいろいろ自分のおもい通りの家具とか作れるのになとおもっていたわけです。

天板がしっかりした机とか、そういうの家に存在してくれるだけで、もうほんと幸せだとおもうんだけど、それを商品として買おうとおもったら20万 はくだらないということがうすうすわかってきたので、そんなんだったら、技術をみにつけて、自分で木かってきて作ってしまえばいいのではないか?という風 に僕はおもいはじめているわけです。

でもさ、現実問題いまの一人暮らしの家で、ドリルやら電ノコやら木材なんかを収納するスペースなんかないし、第一、休みの日に木でも切ろうものなら、そのまま賃貸契約まで切られてしまいそうなので、これはこまったどうしましょう?というかんじなのです。

で、そこで僕の豆粒ほどの脳みそをフル回転させてカランカラン言わせながら考えたところによると、

実家にいって、おじいちゃんと話しながら家具を作ればいいのではないか?

とかおもうわけです。

こちらで製図だけ書いて、(書き方知らんけど)あちらで材料と工具をかって塗装したりして加工を終わらせ、こちらに組み立てるだけの材料を送る。

そんでもって、こちらでかなづちとか接着するものを使って組み立てる
という手はずでいけないものだろうか?と


今まで帰省は盆と正月の年2回だったから、それをこれからは、家具を作りに帰りますということで、年4回から6回に増やせないものだろうか?と考えておるわけです。


交通費とか送料とかスケジューリングとかいろいろな問題はあるものの
もしこれが可能であるなら、なかなかいい結果をえれるのではなかろうかとおもうわけですね。


たとえば金・土・日とかの3日間かえるとして、そこで家具をひとつ仕上げると考えたら、なかなか期限があって、けっこう真剣に働くのではなかろうかと、

そして、最終的にはgrafとか家具蔵とかの軽く10万オーバーな家具に匹敵するような作品を生み出せるようにならんものかと

なんといいますか、家具屋めぐりとか無駄にいっぱいやったのはいいけど、
高いものと安いもの、いいものと悪いものを見分ける目が肥えれば肥えるほど、やっぱり、普通に売っている家具が、自分の生活の中にいれるにはとて も安っぽく感じてしまうわけでして、これは困ったもんだなと。机ひとつに20万30万、椅子一脚に10万も払えるのか俺?と切にかんじるわけです。

やりはじめたら、DIYも楽しいだろうし、とにかくなんでも自分で生み出せるというのはすばらしい事だろうとおもうので、これを機会にちょっとやってみたいな、なんてぼんやりとおもっていたのですよ。

そういうことを、少し今日は考えていたら、なにげなくおじいちゃんから電話がかかってきまして、

「えーと、来月くらいにそっちに帰るから、家具つくりに」

とか何とか咄嗟に言ってしまったので、ことはかのように進んでいくようなのです。

「人生見切り発車」というのは某ジャバループの後藤大輔がいった唯一まともな言葉だけど、その感覚の1000分の1でも取り入れてみようかな、とおもったりする秋の朝。


さて、仕事からの逃避終了。
ああ、また現実にもどり作業を続ける。
これは罰ゲームか?

いや、楽しい楽しい楽しい(←自己暗示)

もう寝たいよ点...