検証のすえ

いまの場所に暮らして、もう10年以上がすぎた気がする。

その間、ずっと気になっていることがあった。
家の前まで豆腐屋が豆腐を売りにくるのだ。

長い間暮らしているわりに、一度も食べたことがなかった。

それは自転車のハンドルについた、
たぶんゴム製の、小さなクラクションによって知らされる。

パフパフという音がしたら、その豆腐屋がきている合図なのだ。

先日、なぜこのタイミングなのかわからないけれど、
その豆腐をたべてみたくなり
音がしたときにどんぶりをもって、外にでてみた。

はじめてのことなので、どのように買えばいいかわからない。

どんぶりが必要なのかどうかさえもわからない。

豆腐屋はうちの近所にある、
たぶん芸術関係、絵描きか何かをしている
家の前に止まって、
そこの奥さんに豆腐を売っていた。


豆腐を渡しおえた後も話しこんでいるものだから

わたしはどんぶりを持ったまま外に突っ立っていることになった。


なんて滑稽な姿なんだろうとすこし恥ずかしくおもいながら、
話が終わるのを待った。しばらくして、
豆腐屋はこちらにむかって自転車を漕いできた。


そこでわたしは、「すみません、2丁いただきたいのですが」と声をかけた。

「はいはい、2個ね」と豆腐屋はいった。

豆腐屋は60歳くらいの中肉中背の日に焼けた男だった。

もっていったどんぶりには豆腐1つしか入らなかったので

もうひとつは、豆腐屋が用意していたプラスチックの四角い入れ物にいれられた。

家に帰って、さっそくたべてみると、なるほどおいしい。

また買ってもいいなとおもうほどだった。

その日から今日まで何日かたったのだけど、
豆腐屋がくるたびに
あの小さいクラクションの音が気になる。
すごくさみしい音のようにきこえるのだ。

パフパフ

買ってあげないと、申し訳ない、おじさんは大変なのかもしれない

というよくわからない気持ちになる。

おもえば、もっと一般的な豆腐売りの合図、パーパーも

ラーメン売りのチャルメラ、パラパーパパ、パラパパパパーも

すこしさみしげだ。

あれは意図してそのような音にしているのだろうか?
いままで考えたこともなかったけれど、
豆腐屋にも営業努力というものがあるのだろうか
たとえば、
どのクラクションが一番よいかということを考えたりするのだろうか?

自転車の普通の呼び鈴では、豆腐屋と気付いてもらえない

かといって、拡声器を使うわけには行かない

トーフーの笛を使うと、近所から煙たがられる

というふうに、さまざまな検証をした末に、
あのパフパフという
小さいクラクションに落ち着いたのだろうか?

そんなことばかり最近考えている。