珈琲豆屋

ひっそりと目立たないビルの二階にある珈琲豆屋の主は、過剰なくらい人に気をつかう性分なのだとおもう。私にもそういうところがあるので「あなたもですか、困ったものですよね、この性格」といつも無言のやりとりをしている。気をつかいあっているので、お互い無駄口を叩かない。数年通っているものの、挨拶程度にしか言葉を交わさない。

その店にはいつも音楽が流れている。ラジオの場合もあるけれどピアノの曲がおおい。前回おとずれたときはJazzのピアノトリオがかかっていた。しかし誰だかわからない。エバンスじゃないし、オスカー・ピーターソンじゃないし、ウィントン・ケリーじゃないし、モンクじゃないし、ハンク・ジョーンズじゃないし、でも年代的にはそれくらいっぽいんだけど。すごく疑問だった。なので思いきってたずねてみた。「このピアニストは誰なんですか?」

「これはバド・パウエルですね。」と店主がいった。「なんだか鬼気迫るものがあるでしょ。こんな研ぎ澄ましちゃってると長くはもたないですよね。」そして彼はそのピアニストの生涯について話してくれた。私は「バド・パウエル聴いてみます。」といって店をでた。

そのことがずっと心にひっかかっていた。聴いてみますといってしまったのに、まだ調べてもなかった。そのかわりに、自分としてはすごくめずらしくクラシックを聴いていた。バッハばかりくりかえし。クラシックは書くのも恥ずかしいとおもうくらいなにも知らない。でも人生のなかでおおよそはじめて、ああクラシックのピアノっていいなとおもった。

今回おとずれたときに「すみません、オススメしてもらったバド・パウエル、いまは気分じゃなく全然聴いてないんです。でもグールドのインベンション2番とかゴールドベルグの1番とかをよく聴いてます。クラシックピアノってどこから聴いてったらいいのでしょうか。」とたずねてみた。

そうすると彼は「あまり詳しくないのですが、わたしがクラシックを聴きはじめた頃、詳しいお客さんに教えて頂いたのは、スヴャトスラフ・リヒテル、フリードリヒ・グルダ、タチアナ・ニコラーエワ、それに先ほどおっしゃられたグレン・グルールドでした。」といった。



音楽がなければ、私はほとんど誰とも話すきっかけを作れずひとりで遠慮がちに暮らしているのではないだろうかとおもう。