宴のあとは
ギター弾き語りライブを2ヶ月に1回のペースでつづけています。ライブをただするだけなら、もっと頻繁にできそうなんですが、自分のできることばかりやっててもおもしろくないので、「こうしたら楽しんでもらえるかな?」とできるかできないかわからないけれどやってみたいことをライブでやろうとおもい、そのペースにしてます。
準備モードにはいったライブ前は、宿題をたくさんかかえた学生みたいになって、かなりテンパってます。おおーーーー提出日あと3日なのになんにも終わってないぞ!みたいな。今回は某男性歌手の曲がおおきな課題となって、もう時間がかかるかかる。オリジナル作りたいのにまったくそっちに手をかけれない。
そんな風にフル回転した日々をすごしライブをするので、終了後は文化祭のあとみたいに興奮さめやらぬかんじになります。帰ってきて眠ろうとしても眠れない。日常生活にもどろうとしてもすんなりもどれない。クールダウンするのに、なにかいい方法はないだろうかとずっとおもってました。ひと仕事おえた後、旅にでたいような心境なんだけど、旅にでるのは日程的にきつい、さてどうしよう。
今回のライブをおえて、ふと、あれ?お寺とか神社いくのはいいんじゃないか?とおもいました。京都にいるあいだにいろいろめぐっとかないともったいないとどこかでおもっていたのも手伝って。
というわけで、赤い絨毯っぽいのがある寺にいきたいなとおもって調べて、いってまいりましたよ大徳寺、高桐院。(コウトウインと読むそうです)
そうだ京都いこうのキャンペーンにも登場したことがあるお寺らしく、なかなかの風情です。紅葉の時季になるとこの細い道に赤い絨毯がひかれたようになるそうです。
はいってみると目の前にはもとめていたかんじの庭が。大好きな龍安寺とにてる形してます。枯山水がどうとかってのはくわしくないのでわからないです。あんまり枯れてる気はしませんでした。瑞々しかったし、ってそういう意味じゃないか。
風情があるお庭です。薄汚れたわたしのこころもあらわれるようでございます。ことばづかいも丁寧にならざるをえないし、背筋ものびる。
平日の早い時刻にふらっとおとづれたということもあって、人もまばらでなんとも静かに時間をすごすことができました。
こんな窓からの景色をみながらくらせたらなんと優雅なことでしょう。心ひかれる建物にであえる機会がいまの日本建築にはすくないので、日本建築のデザインってどうしてこうおもしろくなく、伝統がないのだろうとおもってたこともあるのですが、こういうお寺や神社にふれてみると、なんだ、あったのか、無知でした申し訳ない。という気分になります。日常がデザインであふれている。
たぶん紅葉の木だとおもうのですが、風にゆれる木々のようすをみていると、あきることなくそこにいることができました。
このお寺は千利休にゆかりのある場所のようで、抹茶をいただくことができます。すてきなお庭をながめながら一服するのはなかなかの風情でした。
お寺はすごく魅力的で、自分がつくりたい音楽についてヒントをくれます。日常のなかにあるものごとをみる視点を高くしたり低くしたり角度をかえたりして、魅力的にみえるポイントをさぐる。不必要なものがそぎ落とされたもの。よい空気がかんじられるもの。そして、リズムがあること。
ギター弾き語りの宴がおわったあとはお寺。頭のなか整理して、あなたにあう準備してまた宴。しばらくこの周期を続けてみようとおもえるよい時間をすごすことができました。