緑の芝生
友人と話していたら子供のころの思い出ってあるかときかれた。あらためて考えてみると、そんなに浮かんでこない。思いつくのは、緑の芝生だけ。あれは一体なんの記憶なのだろう。
たしか5歳か6歳のころだったと思う。小学校にはまだいってなくて幼稚園に通っていた。普段は家から幼稚園までひとりで歩いていってたのだけど、その日はどうしても幼稚園にいきたくなかった。朝仕度で着替えているときに、母か祖母かが着せてくれたTシャツの柄が気に入らなかったのだ。なんだか女の子が着るような柄だったので、こんなの着ていってみんなに見られるのが恥ずかしいと思った。
着せてもらっているときにそういえばよかったのだが、いってきますと玄関を出たあとに、だんだん自分の着ているものが嫌でしかたなくなってきた。でも家に帰ってこんなのは着たくないと訴えるという選択肢は思いつかなかったので、どうしていいか困った。幼稚園にむかうこともできず、家に帰ることもできず、通学路とは違う道にはいると、いつもお世話になっている松井医院という病院が目についた。病院といってもちいさな町の医院なので、木造の平屋に庭があるこじんまりしたつくりだった。
勝手に人の敷地にはいっていいのか迷ったが、深くかんがえず庭へ、そしてしばらくここにいようと縁側の下にもぐりこんだ。うつぶせに寝ていると、ほっぺたにふれる地面がつめたくて気持ちよかった。その土は柔らかくすこしだけ湿気をおびていた。
ふと気づくと白い靴とかかとがみえる。どうやら知らない間に寝てしまっていたようだ。縁側の作りだす陰のむこうに太陽の光があたる緑の芝生がありその上を女の人が歩いている。しばらくしてそこからでていくと、「あら、どうしたん、そんなとこで」とシーツを干している看護婦さんにいわれた。なんと答えたのかは覚えてない。それからどうしたのかもよく思い出せない。これが数少ない子供のころの記憶。