twitterには意味がない005

twitterには意味がない、という話をしてもう何回目なのか?どうでもいいやとおもっているんだけど、ふとした瞬間にあたまに表題が浮かぶので、それをつぶやいているところ。もちろん、意味がないというのは、僕個人には意味がないということ。意味がある人もそりゃいるだろう。

それでもって、webサービスを使う時に重要、というか何をするときにでも重要とおもわれるのが、フローと、ストックという概念なんだとおもう。ばっさり乱暴に定義づけすると、

フロー=どんどん流れていく
ストック=ある情報がひとつの場所にたまっていく

この観点からみると、twitterというのは、超フローのサービスなのだとおもう。あとから見返す気にはあんまりなれない。ここが僕とtwitterの相性が悪い点。webのストック機能をあてにして、こうして寸暇を惜しんで、ポチポチとキーボードを叩いているのだから。

つまり、人というのは暮らしていくうえで、自分がなにがしたいのか、どんなものにたいして詳しくなりたいのか、それを誰と分かち合いたいのか、どんな風に接したいのか、だれの役に立ちたいのか?などなどの自問自答を繰り返し暮らしていくのだとおもう。その過程と、集めた情報を集積するのが、僕がwebにもとめていることなのだ。

抽象的なイメージでは、ひとつ箱を用意して、そのなかに、こういうものをいれていったらきれいにだろうな、と計画する、そして、それを実行する、そんなイメージをもっている。

なので、twitterでやられていることは、すべて時間の無駄にみえるのだ。ある例外をのぞいて。

その例外とは、すでに、自分の専門性や、特異性を有している人が、その情報を欲しくてほしくてたまらない人のために、ぽろっとつぶやく。この図式を成立させている人にしかtwitterは意味がないとおもう。具体例は、芸能人とか、なにかの専門家とか、自分が興味のある状況におかれている人とか、好きな人とか、あこがれている人とか。

楽して140字のつぶやきを蓄積したところで、なにものにもなれないんじゃないかな? とおもう僕は、一度もtwitterを使ったことがないので、実際使ってみたら、とっても有意義なのかもしれない。