カラアゲ中毒のススメ
あたらしくできたcafeや食堂を最近よくみかける。自分たちでなにか商売をはじめよう!となったときに考えつきやすいのかもしれない。やりたいことで生活していこうという気持ちにはとても共感するし、できることなら応援したい。ところが、そういうお店の値段設定は納得いかないものがおおい。
さて、ここで問題です。写真の食事の値段はいくらでしょう?
カッチカッチカッチ...
こたえは950円です。
これは適切な値段だとかんじますか?それとも高いとかんじますか?
新しくみつけて入った店、なんとなく違和感をかんじるのですよ。その違和感がなんなのか?さぐってみているのです。
洋食、和食、中華などの料理人たちはとてもきびしい下積み時代をへて、料理に対する知識や経験をみにつけるのだとおもう。なのでフランス料理なり懐石なりの料理がそれなりのお値段することは納得できるのです。素材もいいものを使おうとするだろうし、技術もすばらしい。
おいしい焼き鳥屋さんで飲んで食べてひとり4000円払っても納得できるし、おいしいうなぎに2000円払ってもいい。フランス料理屋が昼間のランチで2500円とるのも全然OKだとおもいます。要するに料理を学んだか学んでないかにかかわらず、おいしくて手にはいりづらい料理を作れるかどうか。
しかし、街にあふれているcafeのほとんどは、すこし厳しくいうと素人料理にちょっと気がはえたようなものだとおもうのです。家でも、もしかしたらできるんじゃないか?というレベルにおもえます。
(京都のcafeでいうと、「さらさ系列」と「トラクションカフェ」はご飯がうまいので900円くらい払っても納得できます。大阪でいうとうつぼ公園のearth cafeとかは公園の緑と店内の照明とテラスにいてボーとできる感がすばらしいので少々高くても納得できます。)
なにかやろう、とおもってcafeや食堂をはじめるのは一番はじめにいったとおり、すごくよいことだとおもうのです。しかし、そのときの値段設定として950円とるなら、それにみあうだけの専門性をもつ料理もしくは価値を作り出していってほしいなーとおもうのです。
たとえば空間がもつ心地よさ、4時間でも5時間でも嫌な顔せずしゃべらせてくれる、ケーキ等のスイーツがべらぼうにうまい、コーヒーがうまい、店主の趣味が色濃くでていてなおかつ興味深い世界がそこに広がっている、などなど。
そうじゃないと、もう一回お店に足を運んでくれるお客さんがすくなくなるとおもうんだけど、そうおもうのはぼくだけなのでしょうか?cafeであれレストランであれ食堂であれ、基本的なことがちゃんとしていないお店は残っていけないのでは?と危機感をかんじるのです。
なにやら批判のようにとられてしまうような文章を書いてしまったけど、そんな意図は全然ないのです。むしろ逆です。応援してるっていうか、新しい食べ物屋さんができることには諸手をあげて賛成しております。食べに行く立場としてはバリエーションが増えてくれるのはとてもありがたいことだから。
だから、何度もいいますが応援しているのです。
具体的な方法論は3つありまして、
1:適正価格をさがす。
そうですね、写真の例だと600円から700円のあいだともう一度行くかなもな、とおもいます。
550円だったら絶対もう一度いきます。
2:950円にみあうよう商品をつけくわえる。
(わかりやすくいうと、ドリンクつけるとか、スイーツつけるとか)
3:950円にみあうように、商品のレベルをあげる。
この例だと、激ウマー!!!なから揚げ定食にする。という方法。
一回食べたら忘れられないようなから揚げを作り上げて
多くのお客さんの思考回路をほどなく麻痺させ、家にいるときから
唐揚食べたい唐揚食べたいと、唐揚中毒にさせる勢いで研究に励む。
ようするに今のcafe、ちょっとこぎれいな食堂の乱立というのは、単なるブームだとおもうのです。ブームにのって店をはじめた、さてそれで10年、20年続くかどうか。ぜひいろいろ模索して、続けて欲しいです。
さて、ここで問題です。写真の食事の値段はいくらでしょう?
カッチカッチカッチ...
こたえは950円です。
これは適切な値段だとかんじますか?それとも高いとかんじますか?
新しくみつけて入った店、なんとなく違和感をかんじるのですよ。その違和感がなんなのか?さぐってみているのです。
洋食、和食、中華などの料理人たちはとてもきびしい下積み時代をへて、料理に対する知識や経験をみにつけるのだとおもう。なのでフランス料理なり懐石なりの料理がそれなりのお値段することは納得できるのです。素材もいいものを使おうとするだろうし、技術もすばらしい。
おいしい焼き鳥屋さんで飲んで食べてひとり4000円払っても納得できるし、おいしいうなぎに2000円払ってもいい。フランス料理屋が昼間のランチで2500円とるのも全然OKだとおもいます。要するに料理を学んだか学んでないかにかかわらず、おいしくて手にはいりづらい料理を作れるかどうか。
しかし、街にあふれているcafeのほとんどは、すこし厳しくいうと素人料理にちょっと気がはえたようなものだとおもうのです。家でも、もしかしたらできるんじゃないか?というレベルにおもえます。
(京都のcafeでいうと、「さらさ系列」と「トラクションカフェ」はご飯がうまいので900円くらい払っても納得できます。大阪でいうとうつぼ公園のearth cafeとかは公園の緑と店内の照明とテラスにいてボーとできる感がすばらしいので少々高くても納得できます。)
なにかやろう、とおもってcafeや食堂をはじめるのは一番はじめにいったとおり、すごくよいことだとおもうのです。しかし、そのときの値段設定として950円とるなら、それにみあうだけの専門性をもつ料理もしくは価値を作り出していってほしいなーとおもうのです。
たとえば空間がもつ心地よさ、4時間でも5時間でも嫌な顔せずしゃべらせてくれる、ケーキ等のスイーツがべらぼうにうまい、コーヒーがうまい、店主の趣味が色濃くでていてなおかつ興味深い世界がそこに広がっている、などなど。
そうじゃないと、もう一回お店に足を運んでくれるお客さんがすくなくなるとおもうんだけど、そうおもうのはぼくだけなのでしょうか?cafeであれレストランであれ食堂であれ、基本的なことがちゃんとしていないお店は残っていけないのでは?と危機感をかんじるのです。
なにやら批判のようにとられてしまうような文章を書いてしまったけど、そんな意図は全然ないのです。むしろ逆です。応援してるっていうか、新しい食べ物屋さんができることには諸手をあげて賛成しております。食べに行く立場としてはバリエーションが増えてくれるのはとてもありがたいことだから。
だから、何度もいいますが応援しているのです。
具体的な方法論は3つありまして、
1:適正価格をさがす。
そうですね、写真の例だと600円から700円のあいだともう一度行くかなもな、とおもいます。
550円だったら絶対もう一度いきます。
2:950円にみあうよう商品をつけくわえる。
(わかりやすくいうと、ドリンクつけるとか、スイーツつけるとか)
3:950円にみあうように、商品のレベルをあげる。
この例だと、激ウマー!!!なから揚げ定食にする。という方法。
一回食べたら忘れられないようなから揚げを作り上げて
多くのお客さんの思考回路をほどなく麻痺させ、家にいるときから
唐揚食べたい唐揚食べたいと、唐揚中毒にさせる勢いで研究に励む。
ようするに今のcafe、ちょっとこぎれいな食堂の乱立というのは、単なるブームだとおもうのです。ブームにのって店をはじめた、さてそれで10年、20年続くかどうか。ぜひいろいろ模索して、続けて欲しいです。