絶対個性と相対個性
音楽をしているとよく話題にのぼるのが絶対音感と相対音感ということばです。
どちらも音のとらえ方をあらわす表現です。これらの違いがわからないと本題にはいれないので
詳しい説明をしてくれている「わるつさん」という方のサイトから引用してみます。
絶対音感
「絶対」という言葉自体に、「他のものと比べることなく具体的なもの」って意味があります。
つまりは絶対音感を持ってる人は何か音が鳴るとすぐ「これは何音だ」ってわかるのです。
絶対音感能力者は、音の周波数(ピッチ)を感覚的に測る事ができます。
ある音を聴くと、その音の周波数を自然に感じ取り、12音階と照合して「これはドだ」とわかるわけです。
たまに譜面だけで曲を描く人がいますが、これは絶対音感能力者です。
楽器でいちいち確かめずとも、思った通りの音を構築することができます。
ちなみに絶対音感は3~7歳の時に習得しやすく 、年をとると習得できないスキルとなっています。中途半端な時期に楽器をやり始めた私にはさっぱりな領域です。
相対音感
相対音感とは相対の言葉が意味するように音同士を比べてみて音を推測する音感です。
例えば「A音=ド」と教えてもらってB音は何ですか?と聴かれてA音とB音はこれだけ音程が離れているので「B音=ミ」という具合に推測するのが相対音感です。
つまり絶対的数値で測るのではなく、基準音からの尺度を測るのです。
基準音さえ解れば後は全部わかるという事です。 相対音感は何歳になっても訓練次第で習得できるスキルです。
Mr Bear Crash-「音感について」より引用
さて、「絶対音感」と「相対音感」なんですが、この考え方って自分の性格を把握するのにもつかえるなとしばしばおもうのです。自分のことを知ろうとするときに、誰ともくらべることなく自分を定義できる人がいるのではないかとおもいます。「俺は天才だ」とか「わたしはネガティブだ」とか「ぼくは楽天家だ」とかそんなふうに。
ぼくは、なにかにつけ慎重に考えてしまうタイプなので、自分自身の判断だけで絶対的に自分の性格をレッテルづけすることができません。だから友人の個性と自分の距離をはかることによって相対的に自分を判断しています。
それはこういうことです。ぼくには10年来の友人に現在ドイツに住んでいる女性がいます。ある日の昼下がり、その人と東京のとあるカフェでいろいろ話をしていました。彼女はドイツにいきたいとおもっているけど仕事があるし、ひっかかることがいくつかある、どうしようかとここ何週間か考えているといっていました。
ぼくは考えごとになれているので、まず仕事をやめたらこういうシナリオが、やめなかったらこういうシナリオが、とごちゃごちゃになっているかんがえを整理していきました。
まあ、そこはかとなく考えごとに整理がついて、その日はおひらきになりました。後日、その日かんがえたことをまとめてメールを彼女におくりました。
ドイツにいくためにはこういう条件が必要で、そのためには○○したらいいんじゃないかなという内容でした。そしたら彼女から返ってきたのは、もうドイツ行きを決めて、その旨も会社に伝えたとのことでした。
ぼくにとっては考えられないスピードで彼女は決断し行動していたのです。これはかなわない、すごいなとおもいました。そして、彼女のそんな行動の速さを目の当たりにして、ああぼくは慎重派でじっくり検討したいタイプの人間なんだと相対的に自分を把握したのです。もちろん相対的なので比べるものによって評価は変わるのでしょうが、そのときはそう判断しました。
ドイツにいった友人のように、ぼくと明らかに違う部分のある友人が何人かいます。その友人たちと接するたびに、その人の考えと行動と自分の考えと行動の距離をはかり、自分というものを浮き彫りにする作業を続けているような気がします。普段は意識していないけれど、ふとした瞬間に個性の強い友人たちのことをおもいだし、自分のことを考えると自分というものがよくわかる気がするのです。
自分がイライラするほど違う相手であればあるほど、その考えと行動を理解できたとき、自分が得るものが大きい気がします。もう、こいつと一緒にいるだけでイライラしてくる、なんでそんなことするんだ!かんがえられない!とおもう相手に限って自分に欠けている部分をもっているようにおもうのです。
そういうふうに相対的に自分を浮き彫りにする作業をこれからも続けようとおもいます。どんな個性や性格を持っていてもいいとおもうのですが、まずそれに気づき、その特徴を無理にかえるのではなくて、その特徴が活きる方法を考えるというやりかたがどうやら好きなようです。