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!忘年会08-vol.3 千龍にて「裸の王様」をかんがえる

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昨年の話になってしまうけど、もう一件忘年会があったので思い返してみる。2008年最後の忘年会は音楽仲間と。僕が夜中の梅小路公園で追いかけっこをして足を骨折したときに一緒に遊んでいた面子である。

音楽学校時代からの友人なのでかなり気心が知れている。ふだん僕はいじられキャラになることはほとんどないけれど、この面子であつまるとなぜかいじられるし、おとしめられる。いくぶん居心地がわるいものの、レアな体験なのでまあいいかなとおもっている。

「裸の王様」ということにこのごろ着目している。とても狭い世界の中において、どちらかというともちあげられる職業というのがある。柄でもないのに先生とよばれたりする。わるい気はもちろんしないけれど、気をぬくと自分のことを過大に評価してしまったり、できると思いすぎてしまう危険性がある。自信をもつことはいいことだけれども、自分に能力がないこともできるとおもってしまってはいけないとおもう。

過小評価をすれば自分が伸びる可能性をつぶしてしまうのは想像にかたくない。できないとおもいこむ心が自分に限界を作ってしまう。もともとはこのような傾向にあった気がする。20代前半のころの口癖は「むずかしい」でなんでもかんでもことあるごとに、むずかしいむずかしいといっていた。しかし、あるときに、なんで自分自身の前にハードルをおくような作業をわざわざしているんだろうと気づいて、そうおもうのをやめた。それからはなんとなくやりやすいような気がする。なにかをやりたくなったら、ただ自分とその前にやりたいことがあるだけでそれらをいじっているうちにたいていのことはうまくいく。無駄にハードルをはさむ必要はないんだろう。

反対に過大評価も自分の可能性をつぶしてしまう。まだ身につけていない能力や手にしていない状況をすでに手にしているとおもってしまったら、それらを獲得しようと努力することはないだろう。可能性を信じることはいいことだとおもうけれど、それは現状を見誤ることとはちがう。簡単にいいかえると、「できるとおもうこと」はいいことだけれども、「できているとおもいすぎる」のはよくないとおもう。(少し話はそれるけれども、達磨さんのように頭のなかで完結してしまうと現実では弊害がおきかねない。)

いったん過大評価をして、自分の理想と現状の距離感をみあやまってしまうと、それを正すことはなかなか大変そうだ。誰かが注意してくれたとしても、自分に見えていない部分を指摘されることになるので、なかなか素直に受けとめづらい。そんなときに狂ってしまった自分の距離感覚を指摘してくれる人がいるとありがたい。それらの言葉は耳にやさしいとはおもわないけれど、彼らの目はたいてい参考にする価値がある。「でも、王様ははだかじゃないか」といってくれる人がいることをとてもありがたいとおもう。自分がみることのできない部分をみてくれる人がいることをありがたくおもう。

ほめてくれる人の声は自分にあまくここちよく響くけれど、現状を過小評価も過大評価もせず、
理想との距離を冷静にみつめ、その差をうめる作業を続けていきたい。



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