本とサイクル

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本を買いに行った。コートが必要かなとおもって、外にでてみると意外と暖かかったので、シャツだけででかけた。冬にはいるのかと思わせるような寒さがここ2,3日続いていたけど、もう少し秋を楽しませてくれるらしい。

ほしい本が決まっていたわけではないので、何冊か候補の本を選んで、椅子に座って内容を吟味した。今日ほしかったのは、小説などの読んで楽しいというものではなく、知識を得て実践するための本。こういう系統の本を選ぶコツは、自分になにが足りないのか?自分が知りたいことはなんなのか?今の自分の状態や知識レベルにふさわしいか?本を買ったあと読んで実践できそうか?だとおもうので、座り読み?しながら、その辺を一時間くらい検討して、三冊の本を買った。

自分の暮らしが精神的にも経済的にも安定してくると、どうしてもその暮らしに飽きがくるようにおもう。飽きというか不足感というか、もうちょっとこうだったらいいのに、この部分がもう少し改善されたらいいのにというふうに。

安定している時期というのは、穏やかだけど、その状態が続くとどこか物足りなくかんじる。物足りなく感じると、今度はなにかを変えたくなったり、挑戦したくなったりする。そして今あるバランスを崩して、不安定になりながらも、新しい状態を目指す。

安定して穏やかだけど退屈、不安定で過酷だけど変化に富む、これらのサイクルを繰り返しているような感じがする。自分にとって過度の負荷を穏やかに楽しくかけれないものか?とズルイことを考えたりするけど、なかなかそのようにはいかないところが面白い。願わくば、それらのサイクルのどの段階にいようと、しっかり味わい楽しむことができればいいな、とおもう。

今の僕は、ささやかながらに安定していて、どちらかというと穏やかで退屈なサイクルの中にいる。そして、その退屈さを改善しようと、以前から手をつけている分野が2つある。でも、自分で望んだような成果が得られていない。それほど真剣に取り組めていないので、当たり前と言えば当たり前の結果。

そんな状況を変えようと選んだ三冊の本。ちゃんと読むことができるんだろうか?読んだあとで実践することができるんだろうか?

「そんな面倒なことせずに、ベットの中にいようよ、あったかいよ」というナマケものの声がする。「ベットもいいけど、同じことしている暮らしって面白くないから読もうよ、やろうよ」という改革者の声がする。「別にやってもやらなくてもいいんじゃない。成果がでようがでまいが、結局おんなじようなもんだよ」という老人の声がする。やってもやらなくてもどちらにしても、結局は暇つぶしにすぎないとおもうけど、同じところで同じ風景を見ているのは飽きるというのが一番大きな声。

帰り道、かごに三冊の本をいれて自転車に乗った。すこし肌寒い。季節のサイクルは秋から冬へ。僕のサイクルは安定・保守から不安定・革新へ。経済のサイクルは好景気から不景気へ。
さまざまなレベルのサイクルが、フラクタルのようにイメージされて、僕の頭からしばらく離れない。秋の次は冬、冬の次は春などとぼんやり考えてペダルをこぐうちに家に着いた。