twitterには意味がない

10年はつぶやいていこうかなとちょっとおもったのですが、twitterには意味がないと結論がでました。なんらかの労力をかけてこうやってwebを更新するにはそれなりの意味があるのです。

webをなぜ道具として使うかというと、誰かにむかって情報を発信する過程で、自分のなかで研究していきたい情報、もっとよく知りたいことを体系化することができるとおもうからです。

一般人がつぶやいたところで、そのつぶやきを喜々としてフォローする人は少数だろうし、そんなことをしてくれる人はすでにとっても親しいか、すでに味方なんだろうとおもいます。その人たちにむかってつぶやくことは、それほど面白味のあることじゃない。

しかも、web作業をする中でなんらかの影響力を持とうとおもえばなおさら、twitterという媒体は使いづらい。つぶやきのなかで面白みや独自性を確立して、フォローしてくれる人の数を増やすというのは至難の業なんじゃないかとおもいます。(べつにそんなん目指してないので、その点はどうでもいいですが)

twitterは、よく知らない世界をちょっと垣間見るには便利な道具だとおもいます。その場合、なんらか特殊な状況(なんらかのプロ、興味のある状況下で暮らすなど)にないと、読んでいる人の興味を引くことがない。

ということで、twitterを使って意味があるのは、読者にとって興味のある状況下に既にいる人。その人たちは、「へえ、(舞台裏は)そんな風になっているんだ」とおもってもらう、頻繁に接触するにはとても有効。twitterを使って意味がないには、その逆の状況にある人。だと朝起きてふとおもいました。

つぶやこうとおもったら、長くなっちゃったよ。やっぱtwitterじゃ足りない。