topへ > 滝田信二について >| 前へパンとスカート 誰にも触れさせたくないvs閉じたままも問題 言いわけ次へ

誰にも触れさせたくないvs閉じたままも問題

2006年04月29日06:29

えーと、苦手な科目があります。

えーと、暮らしていく上で必要になってくる科目が
あるとしましょう。


学生のころの試験、国語、英語、数学、
みたいに色んな科目があったように。


それは例えば、暮らしていく上で、必要な科目とは
考えることや、感じることや、伝えることや、行動すること
なんていう科目だとしましょう。仮に、便宜的に


でもって、暮らしていく上で、僕としては、
論理的、分析的に考えるという科目では、
けっこう高得点をとれる気がするんです。

しかしですね、感情的になったり、それを伝えたり
するっていうのは、すごく苦手なわけです。

というか、苦手だと思っているんです。
(感覚で行動するのは好きなんだけど)


なんか、自分の中にリミッターみたいなのがありまして、
「わお、これ以上、感情をいれるとコントロールできなくなっちゃうよ」
と感じたり
「感情を出すことは悪いこと・恥ずかしいこと」
みたいな、自分の中の常識=my常識がある気がします。


たぶん、育ってきた過程や、暮らしてきた環境なんかで
自然とそっちの方が楽だから、そういう風な
コントロールを身につけたんだと思う。


感じるっていうのは、心のやわらかい部分をむき出しにすることだと
思っておりまして、それって、ちょっと怖いので、
仲の良い人にしか、見せたくないし触られたくない、
しかも特定の環境でということなんでしょう。


じっさい論理・理論方向に傾倒して行く人って
実はけっこう打たれ弱い心の持ち主であることが多い気がするし
(僕がどうだ、という話はべつにして)


でも、得意教科の点を頑張ってあげるより、
不得意教科をちょっと頑張った方が、全体の点数は上げやすい、
ということもあるので、ちょいと、頑張ってみようと思います。


まあ、頭で考えた理由は、そういうことなんだけど
心としては、なにかに共鳴することや、振動のモトになることを
望んでいるのかな?

と思います。


いやいや、いろいろあって楽しいな。 飽きませんなー


いままで知らなかった自分の使い方みたいなものを知るのが好きです。


自分の説明書があるとして、ある日

「あれ?こんなボタンがあるって書いてある!」と不意に発見するような
感じ?(どんな感じですかそれは?)


そう、物語の中に銃が出てきたら、それは発砲されなければならない
というチューホフ理論と同じく
自分の中のボタンを見つけたらら、それは押されなければならないのです。


あたらしい自分の側面を発見したら、それは開拓してみたくなるもんです。


そんなことに気づかせてくれる友人の存在というのは
すごくありがたいことだと思います。


ありがとさんです。(←ちょっと照れております)




昨日コンタクトつけっぱで倒れるように寝たので
目がシパシパします。


今日は珍しく早起き。
きょうの京都は、すこし肌寒くて曇り空だけど
なんだか素敵な一日になりそうな朝です。


早起きのよさって「はじまる予感」にあるのかもしれないなー



topへ > 滝田信二について >| 前へパンとスカート 誰にも触れさせたくないvs閉じたままも問題 言いわけ次へ